長崎市平和都市交流視察
令和4年11月8日、調布市議会は、市議会として初めての平和施策事業として、長崎市を訪れました。
長崎市に1発の原子爆弾が投下されたのは、昭和20年8月9日。その年の12月までに7万3,884人の命が失われました。当時の長崎市の人口は約24万人でした。77年後、令和4年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、新たに3,160人の氏名が奉安され、原爆死没者名簿には19万2,310人が記録されています。
今回の訪問では、まず、平和公園内にある平和祈念像などのモニュメントのほか、爆心地から南東約800メートルの山王神社で、爆風で一本柱となった二の鳥居と、その奥にある大クスなどを視察しました。その後、長崎原爆資料館で長崎市の平和行政についてレクチャーを受けました。
長崎市はこれまで重点を置いて取り組んできた2つの柱「被爆の実相の継承」「核兵器廃絶の推進」に加え、新たな3つ目の柱として、「平和の文化の醸成」に取り組んでいるということです。「平和の文化の醸成」とは、スポーツや芸術などを通して平和への思いを表現することや、文化や風習の違う人と交流して、お互いの理解を深めることなど、多くの人々が取り組みやすい、小さな一歩となる事業を認定し、支援するものです。
調布市は、昭和58年「調布市非核平和都市宣言(調布市議会)」、平成2年「調布市国際交流平和都市宣言(調布市)」を宣言しており、令和3年に日本非核宣言自治体協議会に加入しました。さまざまな平和への取組みの一つ、ピースメッセンジャーの派遣事業で、長崎市とも交流しています。令和4年は、市内の中学生12人が「ちょうふピースメッセンジャー」に任命され、8月に長崎市で行われたピースフォーラムに11人が参加して、平和について学び、全国の青少年と交流しました。その体験の成果はメッセージボードに表現され、「メッセージボード巡回展『つながる』」として、市内イベントや公共施設等を巡回しています。
熊本出身の川畑英樹は、同じ九州の長崎をこれまで幾度も訪れてきました。知り合いに被爆したおばあさんがいます。原爆のことをピカドンと呼び、「熱い」「痛い」と叫ぶ人たちのことを話してくれました。今回の視察で、原爆がさく裂した11時2分を指したまま止まっている時計を前に、その話を聞いた時の感覚がよみがえり、胸が苦しくなりました。
長崎原爆資料館の入り口に「長崎を最後の被爆地に」とメッセージボードがあります。長崎の人たちの心からの叫びであり、願いです。原爆を体験した世代が減っていく一方で、戦争や核兵器の話題が絶えなくなってきています。平和を守る取組みは、まず、かけがえのない平凡な日常を大切に思い、小さな一歩を見つけて踏み出すことから始まると思います。